東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)58号 判決
一 原告の請求の原因及び主張の一ないし三は、当事者間に争いがない。
そこで本件審決にこれを取消すべき違法の点があるかどうかについて考える。
二 原告は、引用例のフローシートには、アンモニア中和器底部から系外に抜出される硫安水溶液の濃度が二〇~三〇%であること、及び中和器の循環液流路に冷却器が設けられていないこと並びに硫酸水が中和器上部から器内に流入されることの三点しか開示されておらず、また同引用例の合成及び製品分離の項の記載中には、アクリロニトリル及び他の反応生成物は供給原料と熱交換後中和器に送られること、中和器では未反応アンモニアが硫酸水の対向流により吸収され底部から硫安水溶液として排出されること及び中和器の頂部排出流は直接吸収塔に送られるということの三点が開示されているだけであるのに、審決が引用例の「中和器では硫安の濃度を低下させるほど反応生成物から水が入つて来ていないから、このアンモニア中和器では反応生成物中の水の一部のみが凝縮する程度の冷却しか行なわれていない」としたのは全くの独断的推測にかかるものであると主張する。そして、右審決のように断定できない理由の一つとして、プロピレン、アンモニア、空気、水蒸気を原料とするアクリロニトリルの合成反応は、気相、高温下において行なわれ、アンモニア中和塔に入る反応生成物のガス温度は約二五〇℃であることが知られているところ、引用例の中和器には循環流路に冷却器がないから、その中の温度は容易に下らず、水の露点が七八℃であるから、二五〇℃から八〇℃ぐらいまで冷却するとすれば、循環液の補給水あるいは硫酸水溶液を極めて多量に加えてやらねばならず、かくすれば多量の水の存在のため未反応アンモニアと硫酸の反応による生成硫安水の濃度は極めて低い値(約〇・七%程度)とならざるを得ず、そうすれば引用例に二〇~三〇%の濃度の硫安を得られるという記載と矛盾するという。
しかしながら、引用例には、プロピレン、アンモニア、空気、水蒸気を原料とするアクリロニトリル生成反応は七五〇~一、〇〇〇°F(註三九八~五三八℃)、常圧下で行なう旨の記載があり、且つフローシートからは、反応生成物は熱交換器で常温の原料ガスと熱交換して冷却され、更にアンモニア中和器で常温の硫酸水溶液を加えられて冷却されることが分るから、引用例においてもアンモニア中和器において反応生成物はかなりの低い温度まで冷却されていることは明らかである。原告の主張は、引用例において、アンモニア中和器に入る反応生成物のガス温度が約二五〇℃であり、またその水の露点が七八℃であることを前提としているが、その数字は必らずしも根拠のあるものではない(原告は甲第九号証の米国特許明細書――出願人モンテカチーニ・エジソン社――、甲第一一号証の米国特許明細書――出願人スタンダード石油会社――を引用して、引用例において中和工程に導入される温度が約二五〇℃としたのは誤つていないというが、反応条件の異なる他の例をもつてきて、引用例の中和工程導入の温度を推認することはできないものといわなければならない。)。特に、被告主張のように、水の露点はそのガス中の水蒸気の分圧によつて決定されるところであり、引用例は原料ガスに水蒸気を混入しているから、その反応生成物の水蒸気の分圧が本件発明のそれと必らずしも同一であるとはいえないので、水の露点を一概に七八℃とすることはできず、従つて原告の右主張は前提を欠くのみならず、引用例においても二〇~三〇%の濃度の硫安が得られているのであるから、原告主張のように、循環液の補給水あるいは硫酸水溶液を多量に加えてはいないといわざるを得ない。
三 原告は、また、引用例の中和器を前提として排出する硫安濃度二〇~三〇%に保持し得る場合につき考えると、反応生成物の水の凝縮を起させず、循環補給水の一部蒸発によつてその場合の吸熱による反応生成物の温度を低下させるしかないが、この場合中和器出口ガス温度は約八三℃以上となることが試算上求められるところ、吸収塔に入れる反応生成物ガス温度は低いほどアクリロニトリルの水による吸収取得が良好とされている公知の事実からすれば右の事実は逆行するものであるとし、引用例発明と同じくスナム社の出願にかかる特公昭五二―五〇七七一号公報(甲第八号証)開示の発明においては、反応生成物は生成物が凝縮しないような温度で作用する酸洗浄用カラムに送られ、ここから硫安水溶液が排出されることになつているから、中和器では反応生成物中の水の凝縮は起つていないと主張する。
しかしながら、甲第八号証では、反応器から出た反応生成物は、引用例とは異なつて反応原料との熱交換を行なう熱交換器を通らずに直接酸洗浄用カラムへ送られているから、この記載をもつて、引用例も中和器内での反応生成物中の水の凝縮は起つていないものとすることはできない。
原告は、また、甲第九号証、同第一一号証によつても引用例における中和器出口ガス温度は約八三℃以上となることが算出されると主張するけれども、反応条件、中和の条件等の種々異なる他の例により引用例の中和器出口ガス温度を算出しても意味がない。
四 本件発明においては、アンモニアの中和工程で反応生成物中の水の一部を凝縮させることを要件とするものではない。このことは、本件発明の特許請求の範囲(成立について争いのない甲第三号証――昭和五二年一一月二四日付手続補正書――参照)中に、中和に際し、「反応生成物を反応生成物中の水の一部が凝縮するような温度に保持する」とあつて、「反応生成物中の水の一部を凝縮させる」と記載されているのではないことによつて明らかである。
しかして、右の「反応生成物中の水の一部が凝縮するような温度に保持する」との意味について考えるのに、明細書中の記載からみて、それは「反応生成物中の水を、系外に抜出される液のアンモニウム塩の濃度が低くなるように、過剰に凝縮させるような温度ではない温度に保持する」こと、すなわち、右のように反応生成物中の過剰の水が凝縮するような温度よりも高い温度であつて、高濃度のアンモニウム塩が得られるように、反応生成物中の水の一部が凝縮するにすぎないような温度に保持することを意味するものと解すべきである。
すなわち、本件明細書(成立について争いのない甲第二号証)第三頁第一七行ないし第五頁第七行には、「第一図の如く従来法ではパイプ1によつて急冷塔2の底部に供給された高温度の反応生成ガスはパイプ7によつて急冷塔の上部に供給された液と向流に接触する。冷却した反応生成ガスはパイプ8によつて急冷塔の頂部より抜出されて吸収塔に送られる。急冷塔の底部からはパイプ7によつて供給された液よりも高温度の液がパイプ3によつて抜出され、パイプ4によつて略凝縮水にみあつた量の液が系外に抜出されるが大部分は熱交換器5によつて冷却されて循環使用される。この際反応生成ガス中に含まれる未反応アンモニアを除去するためにパイプ6によつて循環液中に酸を添加する。急冷塔頂部抜出しガスはその温度および圧力における飽和水蒸気量を含んだ反応生成ガスと考えられるので、反応生成水量から急冷塔の頂部より抜出される水蒸気量を差引いた過剰の水が急冷塔内で凝縮する。吸収塔では生成されたアクリロニトリルを水で吸収するが、アクリロニトリルを完全に吸収するために低温で操作される。そのため急冷塔頂部からパイプ8によつて吸収塔に送られるガスの温度は低いことが望ましい。しかるにパイプ8によつて抜出されるガスの温度が低い程急冷塔で凝縮する水量が多くなり、その結果パイプ4によつて系外に抜出される液のアンモニウム塩の濃度が低くなりこの液からアンモニウム塩を回収する際の費用は大きなものとなる。通常は急冷塔頂部抜出しガスの温度は四〇~五〇℃で操作される。本発明方法は急冷塔での反応生成ガスの冷却を二段階以上に分割して行い高濃度のアンモニウム塩例えば硫安水溶液を得るものである」と記載されており、右記載によれば、従来法(一段階法)では、生成されたアクリロニトリルを吸収塔で水により完全に吸収するために急冷塔頂部から吸収塔に送られるガスの温度が低くされていたが、それでは反応生成水量から急冷塔の頂部より抜出される水蒸気量を差引いた過剰の水が急冷塔内で凝縮し、その結果系外に抜出される液のアンモニウム塩の液の濃度が低くなつていたのを、本件発明では急冷塔での反応生成ガスの冷却を二段階以上に分割して行ない、下段での冷却を従来法よりも高い温度で行なつて過剰の水が凝縮することがないようにし、もつて高濃度のアンモニウム塩を得ようとしたものであることが分る。右のとおりであるから、本件発明は反応生成物中の水の一部を積極的に凝縮させてそれにより高濃度のアンモニウム塩を得ようとするものではなく、従来法におけるよりも急冷塔内の温度を高温に保持し、もつて過剰の水が凝縮することがないようにしたものというべきである。しかして、本件明細書中には、従来法により系外に抜出される循環液内の硫安濃度は七・〇重量%程度であるのに対し、本件発明によればそれは三〇・一重量%程度となる旨の記載(甲第二号証第一〇頁第九行ないし第一一行及び第一一頁第七行ないし第九行)があるところ、引用例にも二〇~三〇%の濃度の硫安が得られる旨の記載があるから、引用例においても、原告のいわゆる従来法とは異なつてアンモニア中和器内では硫安濃度を低下せしめるほど反応生成物中の水を過剰に凝縮させていない、すなわち、本件発明におけると同様にアンモニア中和器(急冷塔)内の温度を、反応生成物中の水の一部を凝縮させるような温度に保つているものというべきである。審決が、引用例の「アンモニア中和器では本件発明と同様に反応生成物中の水の一部のみが凝縮する程度の冷却しか行なわれていないとみとめられ」るといつているのは、右の趣旨を指しているものと認められ、この点審決には原告のいうような違法の点はない。
原告は、引用例の中和工程で二〇~三〇%の硫安水溶液が得られるのは添加硫酸水の一部を蒸発せしめることを基因にするものであるのに対し、本件発明はこれとは全く反対に冷却硫酸水循環液により反応生成物を冷却し、その中の水の一部が凝縮するような温度に保持して高濃度の硫安水を得るものであり、中和工程に関しては本件発明と引用例とは全く異なる技術であると主張するが、本件発明の中和工程で用いる酸の濃度はいかなるものでもよい(甲第二号証第七頁第一七、一八行)から、濃度の低い酸を用いるときは、その酸の水溶液の一部が蒸発してそれによつても硫安水溶液が得られることは充分考えられるところであり、この点でも引用例と本件発明とは異なるところがないということができる。
五 原告は、引用例では反応生成物中の生成水の凝縮は吸収塔で行なわれるようになつているが、吸収塔に入る反応生成物のガス温度は本件発明の倍近くの八三℃以上と考えられるから、吸収塔におけるアクリロニトリルの水による吸収は充分でないばかりか、凝縮水の冷却と冷却水によるアクリロニトリルの吸収のため冷却に要する負荷は異常に大きく、そのうえ冷却水によるアクリロニトリルの吸収が充分に行なわれないから冷却水のため冷凍機を使用せざるを得ないが、本件発明は中和工程の第二段階でアンモニアの除かれた反応生成物を冷却し水蒸気を凝縮せしめ、その大部分を除去し、吸収工程では四〇~五〇℃の反応生成物を冷却水で向流接触するので、引用例のように高温飽和水蒸気の凝縮に冷却水が消耗されることなく充分にアクリロニトリルを吸収することができると主張する。
しかしながら、引用例において、吸収塔に入る反応生成物のガス温度が本件発明の倍近くの八三℃以上であるとする原告の主張はそのまま是認できない(原告は、その主張を根拠付けるものとして甲第八号証ないし第一〇号証を引用するが、甲第八、九号証がその主張の根拠となり得ないものであることは、既に述べたところから言えるし、甲第一〇号証もまた甲第九号証と同様、引用例と異なる反応条件等のものをもつてきて引用例の吸収塔に入る温度が決まるものとすることはできない。)のみならず、仮にそうであるとしても、本件発明においては、第一段階で未反応アンモニアを吸収させて第二段階の冷却部に反応生成ガスを送る際の温度は六〇~八〇℃であり(甲第二号証第一八、一九行)、この段階で更に反応生成ガスを冷却し、四〇~五〇℃程度の温度にしてこれを吸収塔に送るものであるが、その際第二段階の冷却部から抜出された液はそのまま吸収塔あるいは後の段階の蒸溜塔へ送られる(成立について争いのない乙第一号証-昭和四六年四月五日付原告の意見書――第四頁第一三行ないし第一八行参照)ものであるから、第二段階(急冷塔上段)において反応生成物中の水の大部分を凝縮させることは、そこでいわば予備吸収を行なつているとみることができ、従つて吸収塔に入る前の急冷塔上段で冷却のために消費されるエネルギーと吸収塔で反応生成物をアクリロニトリルの吸収に適する温度にまで冷却するのに要するエネルギーとの和は、引用例の吸収塔で反応生成物をアクリロニトリルの吸収に適する温度にまで冷却するのに要するエネルギーとほとんど異ならず(本件発明において急冷塔の第一段階から第二段階に入る反応生成物のガス温度は六〇~八〇℃であるが、その最高の八〇℃をとつてみると、原告が主張する引用例の吸収塔に入るガス温度八三℃との差はわずかに三℃にすぎない。)、またアクリロニトリルの吸収にも両者の間に顕著な差異があるものということはできない。
原告は、甲第一一号証を引用して、引用例においては、吸収塔におけるアクリロニトリルの吸収が充分に行なわれないから冷凍機を使用して冷却せざるを得ないというが甲第一一号証は引用例とは反応条件、中和条件等の異なるものであるから、右甲号証において冷凍機が使用されるからといつて引用例においても冷凍機を使用せざるを得ないということはできない。
六 以上のとおりであつて、原告の主張はいずれも理由がなく、本件発明は引用例の記載に基づいて当業者が容易に発明することができたものであると認めた本件審決に違法の点はないから、その取消しを求める原告の請求を棄却する。
〔編註〕 本件における特許発明の要旨は左のとおりである。
アンモニアと分子状酸素及びプロピレンよりなる混合物を高温、気相で触媒と接触させてアクリロニトリルを生成せしめ、この反応生成物を直接に水と接触させて冷却すると同時に酸を添加して未反応アンモニアを除去する方法において、この反応生成物を酸の水溶液と接触させて未反応アンモニアの事実上全量を中和し、その際にこの反応生成物を反応生成物中の水の一部が凝縮するような温度に保持すること、並びにこの中和後の反応生成物を更に冷却して反応生成物中の水の大部分を凝縮せしめることを特徴とする、アンモニアと分子状酸素及びプロピレンとの反応生成物からの未反応アンモニアの除去方法。